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有限会社ナスカ一級建築士事務所
162-0052 東京都新宿区戸山3-15-1 日本駐車ビル4F
T 03-5272-4808 F 03-5272-4021

狐ヶ城の家House at Kogajo

広島県賀茂郡

設計 古谷誠章+近畿大学古谷誠章研究室
用途 専用住宅
構造 W
規模 地上2階
敷地 737.00㎡
延床 134.22㎡
竣工 1990.05
受賞 1991年第8回吉岡賞(現・新建築賞)
掲載 住宅特集1990.08、建築文化1990.08、SD1990.08

気がつくと女がひとり、にじりよるように黒い舞台の上に歩んでいる。舞台の上にはまだほとんだ何もない。ひとしきりの後、ぞろぞろと現れる登場人物たちが、建具だの障子だの簞笥など、それぞれてんでに担いでくる。それを彼らがそこここに立て込んでいくと、あれよあれよと思う間に舞台には一軒の家らしきものが立ち現れているではないか。まったく不思議でドキドキするような、転形劇場・太田省吾の『小町風伝』冒頭シーンである。ここで人は寝もし、食いもし、そしてさまざまな「生活」が繰り広げられたのち、芝居の終わりには、再び彼らがいっさいの「家の断片」を運び去ってしまう。
ずいぶん粗っぽい描写であるが、このシーンには私が今この住宅で、「生活」とその「舞台」についていおうとしていることの、ほとんどすべてが表現されている。前々からどうしても見たかったこの演劇を、この住宅の設計がまさに終わりかけたころ、初めて見た。折しも劇団は解散を目前に控え、いよいよ最終の公演に望もうとしていたときである。だが、どうしても見たかったものを、それまで見ることができなかったのは、かえって幸いだったかもしれない。なぜならまだ見ぬこの「空間」を人づてに聞いて、あれこれ想像してみるのが非常に楽しかったからであり、そして最後の最後に初めて目のあたりにしてみたら、さらにさらにおもしろかったのである。
この住宅はかなり珍しい敷地に建っている。周囲は山林を切り開いて造成された新しい住宅地であるが、元の地主がディベロッパーに売らなかったために、この一画の地面だけが、まるで池の氷を切り取って傾がせたように、傾いたまま残っていた。よく見ると敷地内には昔の野道が斜めに走り、地面の傾斜を辿っていくと、造成地を飛び越えて少し離れた雑木林の斜面になめらかに続いている。残念ながら松や雑木はすでに伐採されていたが、眼前には水田や牧草地を望み、後方には新興の住宅地を経て、なだらかな山を背負っている。敷地を見るなり私はすかさず、「土地の傾斜はこのままにして住みましょうね」といった。そうしてここに地面から少し離れた「生活の舞台」を水平に設えて、それを山並みの陵線に呼応する2枚の屋根で覆うという計画が始まった。
この住宅は別荘ではない。人が毎日ここで寝起きする住宅である。しかし、だからといって毎日まったく同じ生活が繰り返されることはあり得ない。家の中では日々きのうとは違った会話がなされ、別の出来事が起こる。子供は日毎に成長し、大人も少しずつだが必ず年をとっていく。しかも冬場に居心地よい場所が、幸運にも夏の暑さ凌ぎやすいとは限らない。毎日朝日の昇る時刻が変わるのに、1年中同じ寝室で休むのが気持ちがいいとも思われない。食事にいたっては、いったいどうして毎日同じ食卓についているのだ。私は実際に住宅を設計するのが実のところ初めてだったので、ずいぶん基本的ないろんなことを考えてしまった。だからこの家にはコンクリートの動かぬ屏風に隠された風呂、便所、台所を除いて、この部屋はこの目的のために使いなさいという、機能の定められた部屋名がない。その代わりにさまざまな表情を持ついろいろな場所が連らなっている。家の中には2枚しか開き扉がなく、他の仕切りのほとんどが引戸からなっているので、開けて使うか閉じて使うか、あるいは取りはずしてしまうかといったように、部屋の生成消滅そのものが時に応じて随意であり、固定的でない。しかもあるとき、仮に戸を閉めていたとしても、見上げれば天井面が続き、屋根の下に連鎖する他の空間の存在が容易に認識される。また内部相互と同様、常に家の中から外部へと空間が連続していることが感じられる。内外を貫くそうした空間の連続の中で、必要な箇所にその場の状況に応じて、視線や光や風や雨や音などを遮るためのフィルターを、適宜立て込んでできたのがこの住宅なのである。こうしたフィルターを私は「間戸」と呼んでいる。周知の通り日本語の「窓」の語源といわれる言葉であるが、読んで字のごとく、これは壁に穿たれた「穴」のことではなく、「間」に建てられた「戸」のほうを意味している。
「穴」が壁に何かを通すために開けられるのに対し、「戸」はスースー入ってくる何かを遮るために建てられる。多くの場合それは常設的ではなく、必要がなくなれば撤去可能なものである。また遮断する対象によって、板戸だったり、格子戸だったり、明り障子だったりする。しかも人間の手で容易に脱着が可能となると、自ずとそのサイズは人体の寸法に近づき、またフィルターだけで自立するよう適切なフレームが必要である。こうすることによって、これらのフィルターは大掛かりで建築的なものから、次第に家具的なものへ、ハンディでより身近なものになり、家に住む人が自分の意志で、しかも手軽に自由に空間を設え直す事ができるようになる。この家は周囲をぐるりと自然にかこまれているわけではない。背後には隣家も近接している。また当然ながら、家の中にも年中開けっぱなしにはできないところもある。この住宅には2枚の屋根を支える木軸の骨太な格子の間に、こうした大小さまざまな「間戸」が、内外にわたってあたかもはぎ合わされたように置かれている。
今までは主に私がこの舞台の上にさまざまな「障子」をせっせと運んできた。家具の藤江さんとヴェロニクさんも、不思議な「個性派」を運んできた。引渡しがすんで、目下のところ施主が次々と夫婦の記憶の残る「家の断片」を運んでいる。家族の一員でもある3匹の犬も登場した。きょうからが第二幕である。そしていつしかすべてが運び出される日まで、この家がこれからも日々つくり続けられることを願っている。

撮影 新建築社